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脳と魂と

ON: 2007年1月15日 20:51
IN: OTHERS
BY: RYU

この記事(エントリー)は少々長くなるような気がする。
特に他人様が読んで得る情報はないので、検索結果などで訪れた人は読み飛ばすことをおすすめします。
今日、思ったことをとりあえず記録しておくだけ。

いかなる宗教も全く信じていない。もしかすると信心深くなれば、生きていることに素直に感謝できるのかもしれないと思う事はあるけれど、それでも神も仏も信じることはこれまでできなかった。
神か仏がいるのであれば、こんなひどい世の中になっていない。
「乗り越える事ができる試練として、神は人間に困難を与えるのだ」という宗教があるけれど、おおきな事を望まず、平凡に真面目に日々を送っている人に、平気で悲しみや苦痛を与える神仏なんてろくなモンではない。
そんな神や仏はいらねぇ。

宗教について書きたいのではなかったが、上記したような理由から、運命というのもあまり信じていない(結果として、あのときこうしたからこうなったという考え方は理解はするが、「こうした」というのは自分自身の選択である。神の操作によるものではない)。
それに加え、血液型とか星座とか誕生日とかによる行動パターンもあまり信用していない。おもしろおかしい娯楽としては楽しめるが、自分の考えと選択以外の何かによって自分の生き方を方向付けられているとは考えたくはない。

こんな屈折した考え方は、中学生くらいの時には固まっていたように思う。もちろん、神がどうとかいうレベルではなく、親や教師に自分の生きる方向を決められてたまるか!?という程度だっただろうが。
(逆に今は、神とか占いとかという訳の分からんもんに耳を傾けるのなら、自分の心配をしてくれる生身の人間の声を参考にする方が良いと思う。。わかっていてもそれが中々できないが。。)
そんなわけで(?)、冷静に物事を分析して自分で結論づけて納得することが一番重要だと考えている。その「納得(理解)」ってどこでするのかな?と常々思っていた。
理屈でいうと「脳」かな?だけど、歌とか詩の世界では「心」が考えているような結論になっていることが多い。
「心」というのはよくわからないが、「魂」として置き換えると「納得」できる気がする。
芸術作品とか、デザインされた何かを見たときに、「魂」みたいなものの有無は感じる気がするし、自分の「脳」は反射行動を除くと、「日本語で検討分析」しているので、結局の所、言語の限界でしか理解と納得できないのではないか?と思う。すばらしき日本語は、中庸であることを認める事もできるから、英語的な結論を出さずに曖昧なままでもまとめる事ができる。
某漫画・某アニメでいうところの「ゴーストが囁く」という考え方はなんとなくだがよくわかる気がする。
(これもまた曖昧に結論を出している日本語か)
魂のささやきを脳で押さえたりコントロールするべきか?
魂のささやきを脳で理解した上で解き放つべきか?
多分、今の自分は前者を目指しているのだろうが、後者になれなかった事を死ぬ前に後悔するかもしれないぜ。。と、魂が囁いている気がする。
しかし、魂やらなんやらというボンヤリしたものが自分の中心であるという結論にはしたくない。
もしかしたら自分の事を知っている周辺の人によって(周辺の人の期待や記憶によって)方向が決定しているのか?そう思う事もあるけれど周辺の人を選択しているのは自分だし。周辺の人との付き合いは脳が検討した理屈だけで導いているわけではないから、やはり魂が絡んでいるのか?と思ったり。
なんだかよくわからないなぁ(結局はこれ)。

ここまで書いて、「あんたが宗教家になれば?」と藤原先生に言われた事を思い出した。

ブルータスで脳科学のモギさんの特集をやっているようだった。とりあえず買ってみよう。
心理学は、脳科学に変わって行くの?という疑問の答えは書いてなさそうだけれど。。

こんなことを書きたかったわけではなかったのだが、今日はこの辺りで。

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